クラシック音楽作曲家のオモテウラ 第1弾

人間だれしも表の顔と裏の顔があるもので…。ほら、お母さんがクドクドお小言を言っていたと思ったら、電話がかかってきた途端に高いよそゆきの声で話し始めたりするでしょう? クラシック音楽作曲家だって同じでした。音楽室にかかっている絵の中ではすました顔をしていても、笑って怒って時には失敗もして、そして音楽が大好きな一人の人間だったのです。そんな作曲家たちの立派ですばらしいオモテの顔と、ちょっとクスッと笑えて、へえーそうだったのか!となるようなウラの顔をこれからみんなで見ていきたいと思います。
第1弾では、前のシリーズで紹介した作曲家のうち、バロック時代の作曲家を紹介します。

【バロック時代とは】

バロック時代は、たいていの場合1600年頃からJ. S. バッハが亡くなる1750年くらいまでの時期のことを指します。「バロック」の語源は、「いびつな真珠」という意味を表すポルトガル語のbarrocoであると言われています。バロック時代より前の音楽が、なめらかで調和のとれた合唱曲が中心であったのに対し、バロック時代には「対比」が重要になりました。例えば、オーケストラが大きな音を奏でていたと思ったら、次の瞬間急に小さな音になるといった具合です。完璧にとけ合った音楽よりも、ちょっとでこぼこしていたり、急に変化して驚いたりするような音楽に魅力を感じる人が増えていったのです。
また、バロック時代には鍵盤楽器を始めとする器楽曲が爆発的に増えた時期でもありました。バロックより前の音楽のほとんどがアカペラの合唱曲であったのに対し、楽器が発達するにつれて、楽器を主役にした作品が数多く作られていきました。しかし、まだ現在のようなピアノは誕生していません。バロック時代に盛んに使われていたのはチェンバロやオルガンでした。これらの楽器は音の出る仕組みがピアノとは全く違います。ピアノは楽器の中でハンマーが弦を叩くことで音が出ますが、チェンバロは鍵盤と連動した爪のような部品が弦をはじくことで、オルガンは鍵盤を押すとパイプに空気が流れて音が出ます。弾いた感触もピアノとは全く別物です。みなさんももし機会があったら、ぜひチェンバロやオルガンに触れてみてください。バロック時代の作曲家が実際に弾いていた楽器を知ることで、きっと作品の見方も変わってくるでしょう。


チェンバロ


パイプオルガン

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750年、ドイツ) Johann Sebastian Bach

音楽の父は実は…家族思いの教育パパだった
・・・オモテ
・・・ウラ

バッハはよく「音楽の父」と呼ばれます。それだけバッハはクラシック音楽史の中で巨大な存在であり、のちの作曲家たちに大きな影響を与えたのです。バッハは複雑な対位法※が非常に得意だったとともに、当時イタリアやフランスで流行っていた音楽を積極的に取り入れました。その時代の各地の音楽の良いところを吸収して、彼独自の作風を生み出したのです。そしてベートーヴェンなどの多くの作曲家たちはバッハを尊敬して、熱心に勉強しました。現在でもバッハ作品の職人技のような緻密さや、多種多様な様式、深い精神性は人々の心を捉えて離しません。

そんなバッハは家族思いで、熱心な教育パパでもありました。妻や息子のために曲集を書いてプレゼントしたり、息子を良い大学に行かせるためにわざわざ引っ越しをして早々に入学の予約をしたりしていたのです。息子のために作曲した作品として、《インヴェンションとシンフォニア》があります。これは現在でもピアノの教材として使われています。バッハが息子に教えようとしたことが、私たちにも役立っているなんて、なんだか不思議な感じがしますね。そのように音楽教育を受けたバッハの息子たちは立派な音楽家になって巣立っていき、ヨーロッパ各地で活躍しました。

※対位法…いくつかのメロディーを組み合わせて作曲する技法のことです。フーガやカノンは対位法的な書法と言われます。イメージとしては「かえるのうた」を思い浮かべると分かりやすいかもしれません。かえるのうたが…かえるのうたが…というように、メロディーが重なり合って曲が進んで行くというのが対位法の特徴です。

♪ カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」 変ロ長調 BWV 992 Capriccio sopra la lontananza del fratello dilettissimo B dur BWV 992

バッハが若い頃、兄が王様のお伴として旅立つときに作った作品です。6曲から成り、各曲に題名が付けられています。兄との別れの悲しさや情景を音で見事に描いており、晩年の作品とはまた違った素朴さや快活さ、素直さが魅力的です。
バッハの鍵盤音楽作品はとにかく良いものが多くて迷いました。《平均律クラヴィーア曲集》や《ゴルトベルク変奏曲》などに比べるとこの作品はもしかしたら有名ではないかもしれませんが、私の思い入れがある作品として選びました。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685~1759年、ドイツ→イギリス) Georg Friedrich Händel


旅する作曲家は実は…引っ越し先で上司と鉢合わせ
バッハが一生を通してドイツから出なかったのに対して、ヘンデルはドイツで生まれ、イタリアやイギリスを旅し、最後にはイギリスに定住した旅する作曲家でした。ヨーロッパ各地を旅することで、その地の音楽を自分のものにして作曲に生かしていたのです。また、彼はイギリスに行くことで大成功したと言えます。オペラ《リナルド》や、「ハレルヤ」合唱で有名なオラトリオ《メサイア》はイギリスで作曲されて大ヒットし、ヘンデルは名声を得たのです。

実はヘンデルはイギリスへ来るとき、雇い主、つまり上司だったドイツの王様とある約束をしていました。イギリスには一時的に行くだけで、いずれドイツに帰るという約束です。しかし、ヘンデルはイギリスでの生活がすっかり気に入ってしまい、結局ドイツに帰ることはありませんでした。ヘンデルがイギリスで作曲にいそしんでいたある日、事件が起こります。なんとドイツの王様が、今度はイギリスの王になるためにやって来たのです。それを知ったヘンデルは大慌てです。なにしろ約束を破ってイギリスにいたのですから。困ったヘンデルは王様に機嫌を直してもらうために《水上の音楽》を作曲し、テムズ川の船の上で演奏して王様をおもてなししました。ヘンデルは旅先で思わぬトラブルに巻き込まれてしまいましたが、持ち前の音楽の才能で事なきを得たのです。

♪ 調子の良い鍛冶屋 The Harmonious Blacksmith

ハープシコード組曲第1集》第5番 ホ長調 HWV.430の最終曲で、一般的には《調子の良い鍛冶屋》というタイトルで呼ばれています。鍛冶屋がトンテンカンテンとリズミカルに鉄を打っているかのような、かわいらしい主題による変奏曲です。

ドメニコ・スカルラッティ(1685~1757、イタリア) Domenico Scarlatti

大量の1楽章ソナタを作った作曲家は実は…ヘンデルと勝負した⁈
スカルラッティは鍵盤楽器のためのソナタを大量に作ったことで有名です。彼の作るソナタは1楽章で(その後のモーツァルトやベートーヴェンのソナタは3~4楽章です)、実に500曲以上もあると言われています。あまりにもたくさんのソナタを作ったので、果たしてこれで全部なのかもまだ分かっていないのです。スカルラッティの音楽は、バッハやヘンデルのどっしりとしたドイツ的な音楽と比べると非常に軽やかで、イタリア人としての明るく陽気な気質をよく表していると言えます。人生の後半では王様のお伴としてスペインに行き、そこで鍵盤音楽作品の大半を作曲しました。

スカルラッティは作曲家であると同時に、鍵盤楽器のヴィルトゥオーゾ(素晴らしい技術を持った演奏家)でもありました。そんな彼には、このような逸話が残っています。なんとあのヘンデルと鍵盤楽器演奏の勝負をしたというのです! チェンバロ勝負は引き分けで、オルガン勝負ではヘンデルの演奏を聴いたスカルラッティが負けを認めたという話まで残っています。残念ながらこのエピソードについての歴史的資料は残っておらず、単なる言い伝えであるため、真相は分からずじまいです。当時人気を博していた2人の作曲家のどちらが上だったのか…ちょっと気になりますね。

♪ ソナタ ホ長調 K. 380 / L. 23 Sonata E dur K. 380 / L. 23

たくさんあるスカルラッティのソナタの中でも、特に有名な一曲です。初めの付点リズムが特徴的で耳に残ります。堂々とした雰囲気のこの作品を聴いていると私はつい、真っ赤な絨毯の上を威厳たっぷりにゆったりと歩いて行く王様の姿を想像してしまいます。

ジャン=フィリップ・ラモー(1683~1764年、フランス) Jean-Philippe Rameau

優れた音楽理論家は実は…超大器晩成型だった
ラモーはたくさんの鍵盤音楽作品を作っていたと同時に、優れた音楽理論家でもありました。彼は『和声論』という本を書いて、現代でも使われているような和声の基礎を作ったのです。和声というのは、簡単に言えば和音をどう使うのか決めるルールのようなものです。どんな和声がきれいで気持ちよくて(協和音)、どんな和音がきれいではないのか(不協和音)を決めたり、和音をどうやってつなげていけば素敵なのかを考えたりします。例えば、ドミソの和音を弾いたら次はソシレに行きたくなって、そしてまたドミソに戻りたくなるというのも、和声というルールに従っているからです。バロックの時代にはまだその和声というものはかっちりとはできあがっていませんでした。ラモーはそれをきちんとしたルールとしてまとめて自分の作曲にも生かし、後世の作曲家たちにも大きな影響を与えたのです。

作曲家としてのラモーは様々な種類の作品を作りましたが、実は彼が最も作りたかったのは劇音楽、つまりはオペラでした。ところが、ラモーが初めてのオペラを作曲したのは何と50歳の頃だったのです。モーツァルトなどが小さな頃から作曲していたことを考えると、だいぶ遅いように思えます。しかしこの初めてのオペラは素晴らしい出来で、フランスの王様のお気に入りになりました。それをきっかけにして王様から作曲を頼まれるようにもなります。ラモーは神童とは呼ばれませんでしたが、その分長生きをしてじっくりと作品を作り上げていきました。非常に大器晩成な作曲家だったと言えるでしょう。

♪ 雌鶏 La poule

《新クラヴサン組曲集 第2番(第5組曲)》の中の一曲で、雌鶏の鳴き声をまねた旋律が特徴的な作品です。あちらこちらでコケコッコー、コッコッコッというような音が聞こえてきて、雌鶏が鳴きながら走り回っている様子が目に浮かびます。ラモーの躍動感あふれる作風や、ユーモラスな一面がよく現れている面白い一曲です。

小野寺 彩音

小野寺 彩音 (おのでら あやね)

岩手県出身。

東京藝術大学音楽学部楽理科を経て、同大学大学院音楽研究科音楽文化学専攻音楽学研究分野修士課程に在学中。
学部卒業時にアカンサス音楽賞を受賞。
大学院では「オペラにおける道化」についての研究を行うとともに、オペラ演出を学ぶ。

5歳からピアノを始め、現在はピアノソロ作品に加え、オペラ・アリアや歌曲、ミュージカル作品など幅広い年代の声楽作品の伴奏の研鑽を積んでいる。

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