「才能ははじまりに過ぎない!」――ショパン・コンクールと配信文化(前編)

「才能ははじまりに過ぎない!」――ショパン・コンクールと配信文化(前編)

神保夏子(音楽学)

リモートで聴くショパン・コンクール

ショパン・コンクールの模様が初めてインターネットでストリーミング配信されたのは2005年のことだった。当時ピアノ科の学生だった筆者は興味津々でパソコンの画面を開いていたものの、肝心の映像はすぐに途切れたり固まったりしてろくに見られたものでなく、実にやきもきさせられたものだ。

この16年間で、オンラインでの各種配信のクオリティはあらゆる意味で格段に向上した。コロナ禍は音楽を含むエンターテインメント業界全体に大きな打撃を与えたが、その一方で「リモート」でのイベントの開催・視聴/参加の可能性がこれまで以上に幅広く探求されるようになった。音楽コンクールもまたこうした状況と無縁ではない。
画像:第18回フレデリック・ショパン国際ピアノコンクール公式サイト

2021年のクラシック界で最も注目を集めたイベントの一つは、10月の第18回フレデリック・ショパン国際ピアノコンクールであった。国内では日本人二名の上位入賞が話題を呼んだが、多くの熱心なファンはファイナルの結果が出るはるか前からネット配信にかじりつき、盛り上がっていた。高音質・高画質のライブストリーミングや豊富な動画アーカイヴは、ワルシャワのコンクールを文字通りのグローバルな「メディア・イベント」へと変えた。

「才能ははじまりに過ぎない!」

こうしたショパン・コンクールの動向をつらつらと眺めていてふと目に留まった1本の動画がある。主催のChopin Instituteが提供する、コンクールの公式プロモーション動画である。

動画のおおまかな内容は、一人の少年の成長をショパンの音楽とともに描き出すというものだ。テーマ曲は《練習曲 ハ長調》op.10-1。ショパンが青年時代に作曲した、前奏曲風の輝かしいアルペジオで彩られた作品である。

メトロノームのカチカチという音に合わせて始まるop.10-1の演奏は、はじめのうちはゆっくりでたどたどしい。右手の指と指との間の物理的な広がりを前提とするこの練習曲は、小さな子供の手ではそう簡単に制覇することはできない。

カメラは演奏者の少年が鞄を背負って外に出ていくところを映し出す。彼は他の子供たちがサッカーで遊んでいる様子に一瞬目を向ける。しかし、彼が魅入られたように近づいていくのは、学校の体育館らしき場所に置かれた一台のアップライトピアノである。そこにはなぜかマイクが設置されていて、スピーカーから流れる少年の演奏に子供たちや掃除のおばさんまでもが驚いて足を止める。

少年は無心にさらい続ける。来る日も来る日も、朝も晩も。レッスンや小さな本番を経て演奏は次第にスピードアップし、流暢さやダイナミクスも増していく。少年は青年になる。練習は夜遅く、疲れた彼が眠りこけてしまうまで続く。

そして青年はショパンの胸像が置かれた建物の階段を上る。ステージで楽器を試せる時間はあっという間に終わってしまう。舞台袖が映り、拍手が鳴り響き、ついに彼はステージに上がる。「The 18th Chopin Competition / 2-23 October 2021 / Watch us online in 4K at chopin2020.pl!(第18回ショパン・コンクール 2021年10月23日 4Kでの視聴はchopin2020.plで!)」という白抜きの文字とともに鳴り響く演奏は、すでに完成の域に達している。ちなみに動画は曲の最終音に到達しないまま終わっている。「続きはコンクールの本編で」、ということだろう。

こうしたPVからは、ピアノを愛し、子供の頃からたゆみなく練習を続けてきた者たちの努力と熱意を称えよう、という温かい応援のメッセージが感じられる。途中で映し出される「才能ははじまりに過ぎない!(Talent is just the beginning!)」というキャッチコピーは象徴的だ。公式YouTubeでの投稿につけられたコメントには、「泣ける」「感動した」といったものから、「舞台裏の私たちの努力を共感のレンズを通して撮ってくれてありがとう」という演奏者側の視点のものもあった。

モデルはスポーツ観戦

ポーランドのある動画制作会社によって作られたこの短い動画が非常に印象に残ったのは(「あのショパン・コンクールにPVが存在する!」という驚きもさることながら)、運営側が今回のコンクールをどのようなものとして「見せよう」としているのか、ということがそこにきわめて明快に表現されていたためである。

ショパン・コンクールの歴史的起源として一般に伝えられている事柄には、大別して以下の二つのポイントがあると思われる。
①ショパンの作品とその「正しい」解釈を広めることを狙いとして設立された。
②創立者のイェージー・ジュラフレフはスポーツに全力投球する競技者と「ファン」の存在に着目し、ピアノコンクールの開催を思い付いた。

このうち、より広く認識されてきたのは①のほうだろう。ショパン・コンクールとはショパンのためのコンクールである、と我々はなんとなく考えてきた。ショパンらしい演奏とは何か、ショパンの「心」とは何かをただ純粋に追い求めるのが「ショパン・コンクール」の最も崇高な目的だというような――。少なくともワルシャワは長きにわたってそうしたメッセージを発してきていたように思われるし、日本国内でのショパン・コンクール受容も概ねそれを反映したものだった。

一方、上記のPVに体現されていたのはどちらかというと②に近い局面、すなわちひたむきな若者たちの織り成すヒューマン・ドラマである。そこでは彼らを見つめるオーディエンス(ファン)への訴求が表現の大きな軸となっている。

このPVで描かれる主人公は見るからにピアノという楽器の魅力に取りつかれているが、わかりやすい「神童」や「天才」ではない。もっといえばコンクールの「勝者」ですらない。最終シーンで映し出されるのはおそらくコンクールの第1予選であって(《練習曲》op.10-1は予備予選と第1予選の課題曲群に含まれている)、主人公の彼に最終的にどのような評価が与えられるのかは視聴者にとって必ずしも重要ではないことを示している。広告会社はたとえばファイナルにスポットを当てるなどしてこのPVをスター誕生のドラマとして制作することもできたはずだが、ここで焦点が置かれているのは明らかにそうした局面ではない。

PVの視聴者はときに主人公の青年に自分の経験を重ね合わせながら、ステージでの輝かしい演奏の背後にそれぞれの出場者が積み重ねてきたドラマがある、ということに思いをはせるだろう。コンクールにおいては、もちろん審査結果が多くの人にとって最大の関心事となるが、それだけがすべてではない。様々な個性とバックグラウンドを持つ出場者たちの演奏にじっくり耳を傾け、審査結果の公表という最後のカタルシスに至るプロセスそのものを見つめることこそが、コンクール鑑賞の醍醐味なのである。
後編に続く

神保夏子(じんぼう・なつこ)
京都市出身。
東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。
同大学音楽学部楽理科を経て同大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。博士(音楽学)。
専門分野は演奏文化史、近代フランス音楽史。近年は現代の西洋芸術音楽の演奏文化にコンクールなどの競争制度が与えてきた影響についての歴史的研究を行っている。
共訳書にQ. メイヤスー『亡霊のジレンマ』(青土社)。
東京藝術大学、国立音楽大学、桐朋学園大学各非常勤講師、立教大学兼任講師。
著書:コンクール文化論: 競技としての芸術・表現活動を問う

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