「真珠の響き」を求めて 第2回

――辞典の中の「真珠」と「演奏」小史――

上田泰史
日本学術振興会特別研究員 (SPD)

 前回見たように、真珠には単なる経済的価値だけでなく、キリスト教における象徴としての価値、オリエントへの憧れとしての価値など、非常に多層的な文化的意味が内包されていました。そんな奥深い宝石に喩えるなら、「真珠飾りのような」という形容詞がいつ現れてもおかしくありません。そして登場したのが「ペルレ」という形容詞です。では、人はいつ頃から「これはペルレな演奏だ」といった表現を用いるようになったのでしょうか。今回は、古い辞典を手がかりに、「ジュ・ペルレ」というフランス語表現がいつ頃から、どのように用いられてきたのかを見ていきましょう。

「ペルレ」の初出

 古いフランス語辞典を紐解いてみましょう。「ペルレperlé」という言葉が「真珠に似た」ないし「真珠で飾られた」を意味する表現として立項されるのはA. フュルティエールの『万有辞典(Dictionnaire universel)』で、1690年にオランダで刊行されました。しかし、音楽についての比喩はまだ現れません。フランスで本格的な辞典が刊行されたのは、1694年のことで、フランス語の標準化を推進する王立の団体、アカデミー・フランセーズによって成し遂げられた、いわゆる『アカデミー・フランセーズ辞典』です。その初版で初めて、「ペルレ」という語が、装飾や料理用語と並んで、音楽用語として示されました。

a)「真珠で飾られた。この意味では、ほとんど紋章用語としてしか用いられない。」
b)「ブイヨン・ペルレとは、よく出来た、味の凝縮されたブイヨンを指す。そうしたブイヨンは、内容物と肉汁が真珠の小さな粒のように見える。」
c)「音楽用語として、またリュート及びテオルボについて言うとき、演奏が極めて華麗で繊細な人について、『彼は真珠飾りのような演奏をする』と言う。」

ヘンドリック・マルテンス・ゾルフ《リュート弾き》(1661年)

ヘンドリック・マルテンス・ゾルフ《リュート弾き》(1661年)

 紋章の装飾とブイヨン、そして演奏。面白い組み合わせですね。a)は比喩ではなく真珠装飾そのものを指していますが、b)は油が真珠のような小さくて丸い粒を作るところから、c)はきらびやかな演奏を指すことからきています。演奏はともかく、肉汁を真珠に喩えるとは、エレガントですね!一般的に真珠の大きさと言えば直径が5ミリメートル以上の大粒の真珠を思い浮かべますが、小さくて細かい「ケシ真珠」は、大粒の真珠よりも高い確率で採取されたので、数売りではなく量り売りされていました。肉汁の真珠はおそらく「ケシ真珠」のほうでしょう。音楽の用法として面白いのは、「真珠」に喩えられたのが、ピアノではなくリュートやテオルボの音だった、というところです。たしかに、ポロンポロンと響くリュートの急速なパッセージなどは、真珠がきれいに並んでいる様を思い浮かべますね。ピアノはといえば、ちょうどこの頃産声をあげたばかりでした。現代のピアノの原型となるハンマーアクションを持つ鍵盤楽器は、フィレンツェでフェルディナンド・デ・メディチに仕えていたバルトロメーオ・クリストーフォリ(1663~1732)によって発明されました。彼は、1700年までにこの楽器を発明していたとされますが、現存するのは1720年代に制作された3台だけです。まだ一般に普及していない楽器ですから、辞典にピアノが出てこないのも当然です。

クリストーフォリ制作のフォルテ・ピアノ、1732制作 (ローマ、国立楽器博物館、筆者撮影)

クリストーフォリ制作のフォルテ・ピアノ、1732制作
(ローマ、国立楽器博物館、筆者撮影)

ピアノ用の比喩ではなかった?!

 18世紀後半、ピアノはじわりとヨーロッパに普及していきます。辞典の上で、「真珠」とピアノはいつ結びつけられるのでしょうか。初版からおよそ70年後に刊行された『アカデミー・フランセーズ辞典』第4版 (1762刊)では、相変わらずリュートとテオルボに楽器が限定されていますが、具体的な用例が加えられています。「彼は真珠で飾られたような演奏をする、彼のカダンスは真珠飾りのようだ」。カダンスとは、イタリア語のカデンツァと同じ意味の言葉で、奏者の華麗な技巧を聴かせる、即興的な部分を指します。よく、フェルマータが付けられた長い音符のところで即興が行われる、あれです。「真珠飾りのよう」であるということは、急速でパッセージ(トリルや音階などの走句)をポロポロと弾く音の印象を比喩的に言い表しました。
 18世紀末、フランス革命前後のフランスでは、リュートやテオルボは既に廃れた楽器となっており、市民の間ではヴァイオリンやフルート、クラヴサンに取って代わりつつあったピアノが流行していました。いよいよ本格的なピアノの時代に突入しますが、それにも拘わらず、そこまで編集者の注意が向かなかったのか、『アカデミー・フランセーズ辞典』第5版(1798年刊)まではリュートとテオルボの例が残されました。音楽以外でも用法が拡がり、脱穀、精糖に関する用法が追加されました。穀物や砂糖の粒が真珠に喩えられたわけです。私たちがグラニュー糖と呼んでいる「グラニュー」は英語の「granulated(粒状の)」が訛った言い方ですが、「grain」はもともと穀物の粒のことですね(朝に食べているひとも多い「グラノーラ」も同系統の言葉)。粒状のものを真珠に喩えるというのは、これまたずいぶんお洒落な感じがします。他にも、「ペルレな著作」という場合は、糸のとじ目や刺繍で飾られた本の事を指すとあります。職人が丹精込めて縫い取った装飾への敬意が込められた表現です。
 1830年代までに、フランツ・リストやフレデリック・ショパンをはじめとする新時代のピアノの名手が活躍し、ピアノ熱がヨーロッパ中を席巻します。ちょうどこの頃から、「ペルレ」の語は、さまざまな分野で用いられるようになっていました。『アカデミー・フランセーズ辞典』も第6版になると、「ペルレ」の項目でリュートとテオルボの例が外されます。それに代わる楽器や声楽が示されはしませんでしたが、演奏が「明瞭で均等、華麗な時に用いる」とあります。それまでの「華麗」という質に、粒立ちがよい、という質がはっきりと加えられました。
 さらに時代を下って1870年代、辞典編纂者のエミール・リトレ(1801~1881)による大規模な『フランス語辞典』(1872~1877)が刊行されました。話し言葉の語彙もカバーするこの辞典では、外交用語、博物誌の用語をはじめ、「ペルレ」のさらに広い用法が紹介されています。会話で「これはペルレだ」という場合、「これはとても良い」という、ごく一般的な意味で用いられるようになっていたことも窺われます。さて演奏関連の用語ではどうでしょうか。興味深いのは、「カダンス・ペルレとは、華麗に演奏されるトリルのこと」という定義が見られます。トリルは、音符で記譜をすれば視覚的にも珠が連なっているようにみえますね。さらに、「『これはペルレだ』というときは、非常に急速に、完璧に演奏されるパッセージのことを言う」ともあります。ただ素早いだけでなく、真珠のネックレスに抜け落ちた穴があってはいけないのと同様に、一連の音符を欠かさないで演奏するという点が重要です。さらに、動詞としての「ペルレperler」という項目では、トリルのほかにルーラード(旋律の2音間に差し挟まれる即興的な走句)を完璧に演奏することも「ペルレ」とされています。「ペルレ」は、演奏の熟練したテクニックを指す言葉にもなったのです。

ミシェル・コレット『完全なる声楽教師――声楽と器楽を容易に取得するためのメソッド』(1758年刊)より、ルーラードの例

ミシェル・コレット
『完全なる声楽教師――声楽と器楽を容易に取得するためのメソッド』(1758年刊)より、
ルーラードの例

 ちなみに、楽器については、名詞「ペルルperle(真珠)」の項に、こんな記述があります。「フルートのカダンスについて、それぞれの音がたっぷりとしていて、真珠のような丸みと明瞭さを帯びている場合に用いる。」結局、ピアノは辞典には登場しませんでしたが、辞典を通して、真珠はじつにさまざまな概念カテゴリーと結びついていることが分かります。下に、それらを整理しておきます(下線太字は演奏に関する語句)。

〈真珠自体に関連する概念〉
a. 形態・・・形状: 丸い、球体の、歪んだ(=バロック)、列:並んでいる
b. 質 ・・・色・光沢:銀色の、白色の、灰色の
硬さ:硬い
真贋・上質:繊細、きれいな水で育った、本物の、偽物の
c. 装飾・・・刺繍、ブレスレッド、ネックレス、冠、十字架、(服飾の)装飾、飾られた
d. 地域・・・スコットランド、オリエント(東方)

〈真珠の比喩に関連する概念〉

a. 身体・・・美しい歯並び
b. 形態・・・形状:朝露の雫
c. 質・・・輝き:輝いた、きらめき
価値:美しい物、値打ち
d. 装飾・・・トリル、ルーラード
e. 繊細・・・繊細、こまやか、明瞭
f. 階級・人・・・非常に優れた商人、きわめて愛想のよい、尊敬に値する、最良の社交人、最良の社交界の
g. 出来栄え・熟練・・・よくできた、傑作、仕上げ、趣味、完璧、きわめて入念な、最高の、カダンス、とても急速なパッセージ、急速な音符
i. 楽器・・・リュート、テオルボ、フルート

真珠に喩えることの意味

 19世紀までに培われた真珠にまつわる様々な連想は、真珠を他の宝石にはない特別な文化的存在にしています。とくに、上の分類図における階級・人、出来栄え、熟練といった「上質さ」のシンボルとしての真珠は、社会階層の中で特別に高い地位にいることの比喩として機能します。上の分類では、商人やその他の社交人が挙がっていますが、芸術家の地位はどうだったのでしょうか。プッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》をイメージすると、芸術家と言えば貧しい感じがしますが、そればかりが芸術家の暮らしではありません。19世紀前半に活躍したフランスの作家、オノレ・ド・バルザックは、人々の生活を3つのタイプに分類しています。1)労働者の「多忙な生活」、2)芸術家の「思考する生活」、3)有閑人の「優雅(エレガント)な生活」*1。有閑人は、為政者、官僚、王侯貴族といった上流階級の人々です。ピアノ文化は、王侯貴族を打倒したフランス革命の後、市民社会において栄華を極めました。しかし、銀行家や産業エリートは、暮らしに王族のような豊かさを取り入れることを厭いませんでした。とくに、カルクブレンナーやショパンが活躍した七月王政の時代(1830~1848)は大企業や銀行家が優遇され、そうした富裕層が文化芸術の保護者としてのメセナの役を買って出ました。そのため、支配・保護・搾取する階級の知的エリート集団と、支配・保護・搾取される階級集団の構図は旧態依然として残り続けました*2。劇場文化やピアノ文化の中心的な担い手である財力ある中産階級市民が、ピアノを通してより豊かな生活を演出しようとしたのも、自然な成り行きでした。
 19世紀の後半になると、ステイタス・シンボルとしてのピアノのイメージが市民の間でさらなる拡がりを見せました。ある批評家は、ピアノを「鳴り響く家具」*3と形容し、世紀中盤から後半に活躍した作家ギュスターヴ・フロベールは『紋切型事典』という風刺的な著作で、ピアノを「サロンの必需品」と表現したほどです。さて、そこに真珠のイメージが付随しているというのは、偶然ではないでしょう。下の2つの図は、フランス第二帝政期に刊行された、「サロンの真珠 La perle des salons」と題するピアノ作品の表紙です。ここでの「真珠」は、ピアノを弾く「あなた」、つまり楽譜購買者のことです。

*1 Cf. Honoré de Balzac, « Traité de la vie élégante », La comédie humaine, tome xii, Paris, Gallimard, 1990, p. 211-257.
*2 Anne Martin-Fugier, La vie élégante, Paris, Perrin, 2011 (première édition : Librairie Arthème Fayard, 1990), p. 27-31.
*3 Anonyme, « Nouvelles diverses. » Le Ménestrel, 26e année, 16 janvier 1859, no 7, p. 54.

(左):アドルフ・ラクー《サロンの真珠―-ピアノのためのマズルカ》(1857年刊) (右):A. ルミ《サロンの真珠―ピアノのためのポルカ=マズルカ》(1863年刊)

(左):アドルフ・ラクー《サロンの真珠―-ピアノのためのマズルカ》(1857年刊)
(右):A. ルミ《サロンの真珠―ピアノのためのポルカ=マズルカ》(1863年刊)

 これらの表紙は、「これがサロンで輝く曲である」こと、そして「それを演奏する貴女自身もサロンの真珠になることができる」というメッセージを伝えています。
 これはかなり通俗化した真珠の比喩ですが、一方で、本当のエリートとしてピアニスト(兼作曲家)も、真珠に喩えられることがありました。具体例は次回見ることにしますが、ピアニストの演奏や人格が、上の分類で見たように、もっとも愛すべき、尊敬に資する、内面的にも優れた人物であれば、その人物は「本物の」真珠と形容されたことでしょう。バルザックは、このような貴族的内面性が、芸術家の属性であることにも触れています。これについて、社会学者アンヌ・マルタン=フュジエはこのように書いています。

芸術家は本当の有閑人ではないとはいえ、優雅な生活の性質を帯びることができるのである。高貴な人の人格から、振る舞いや礼儀作法や調度品の豊かさが生まれるように、芸術の人格からは作品が生まれ、その形を示して彼らの価値を立証するのである*4。

*4 Ibid., p. 29. 訳は下記文献から引用。アンヌ・マルタン=フュジエ『優雅な生活――〈トゥ・パリ〉、パリ社交集団の成立 1815-1848』、前田祝一監訳、東京:新評論、2001年、36頁。

 立派な人格には立派な調度品がふさわしいように、優れた芸術家は、気高い作品を通してその内面的な素晴らしさを示す、というわけです。このようにして、「芸術家は『才能の貴族階級』を形成する。彼らはモードに影響を及ぼし、より一般的に言えば、文化の領域で支配権力を行使するのである」*5。社会制度のなかではなく、文化的制度のなかで権力を行使するのが芸術家だ、というわけです。辞典に即するなら、そういう芸術家こそ、まさに芸術家の中の「真珠」という表現がぴったりではないでしょうか。ピアニストの奏でる音が真珠に喩えられたとしたのなら、それは単なる技術的な素晴らしさだけでなく、その人の人格的な素晴らしさ、芸術的権威をも示していたのです。

(つづく)

*この記事は、日本学術振興会研究奨励費(課題番号18J00661)の助成を受けて行われた研究に基づいています。
*5 同前。

上田泰史

金沢市出身。
2016年に東京藝術大学大学院音楽研究科文化学専攻にて、19世紀のパリ音楽院のピアノ教育に関する研究で博士号を取得。
同年にパリ=ソルボンヌ大学でもパリ音楽院教授ジョゼフ・ヅィメルマンに関する論文で博士号(音楽学)を審査員満場一致で取得。在学中、日本学術振興会より育志賞を受ける。
著書に
『「チェルニー30番」の秘密――練習曲は進化する』(春秋社,2016)
『パリのサロンと音楽家たち――19世紀の社交界への誘い』(カワイ出版, 2017)。
2018年4月より日本学術振興会特別研究員(SPD)を務める。
東京藝術大学、国立音楽大学、大妻女子大学ほか非常勤講師。

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