大滝珀琥さんは、杉並区立大宮小学校に通う3年生(出場当時)。昨年度は小学生低学年の部で銀賞を受賞。今回からシード権が撤廃されたため、再び地区大会から勝ち残り、小学生中学年の部で最優秀賞に輝きました。お母さまと一緒にインタビューに答えてくれました。
大滝珀琥さん
今回の受賞に「うれしい」と即答してくれた珀琥さん。全国大会で演奏したシャブリエ作曲『スケルツォ・ヴァルス』が「ちょっとうまく弾けなかったから……」と、あまり自信はありませんでした。会場で聴いていたお母さんは「今回は、金賞をとりたいと最初から狙って出場したのですが、まわりの方がすごくお上手だったので、すごいなあと圧倒されて……本番はミスがちょこちょこあって、ヒヤヒヤしながら聴いていました。でも、この子なりに表現した点が審査員の先生方に評価していただけたのであれば、ありがたいなと思っています」
なかには「大変才能がある」と講評を寄せた審査員もいて、「こんなにあたたかいお言葉をいただいて。いま持っている力だけではなく、先を見据えて将来的に評価してくださった。10年後、20年後にこんなピアニストになってね、というメッセージは、この子の今後のピアノ人生の励みになると思います。とても心強かったです」とお母さん。“銀賞に終わった前回のリベンジ”と、珀琥さんとお母さん、師事する三輪昌代先生の3人で練習を重ねてきたため、喜びもひとしおでした。「おなじお教室からエントリーしているお友だちも何人かいたので、励まし合いながらがんばれたこともいい思い出。いい時間を過ごせたコンクールでした」と振り返ります。
お気に入りのレッスンリュック
おばあちゃんの手作り
珀琥さんがピアノをはじめたのは、4歳のとき。運動が好きなので、毎日水泳の時間があるスポーツ幼稚園に通い、体操教室にも通っていましたが、ある日、幼稚園から帰ってくるなり「ピアノがやりたい」と突然お母さんに告げました。わんぱくな珀琥さんに「ピアノって動かないよ?! 座っていられるの??」と訊ねたほどの驚きだったと言います。お母さんはヒップホップのダンス指導者のため、珀琥さんは生後2か月からお母さんのスタジオで音楽に触れていました。でも、ほかの家族にも音楽に特化した経験はなく、「音符も読めないんです(笑)」とお母さん。思いもよらなかった珀琥さんの希望でしたが、近くのピアノ教室に通うことに決めました。3年ほど通ったものの「ドの音しかたたかないし、ただただピアノの前に座ることが楽しいという感じでした(笑)」
2歳のころ
生まれて初めてピアノに触れた瞬間
転機は、お教室がお休みになったコロナ禍でした。「自宅で練習していたら、どんどん弾けるようになって、みるみる上達して。そのうちに、“いまドの音が聴こえた、ソの音が聴こえた”と言うようになったんです。エレベーターなどに乗ってドアが開くときにチャイムが鳴ると“ド、ソ”と口にしたり、和音も言い当てたり。気がついたら、日常生活のなかで音を楽しめるようになっていました」
そして、小学校入学直前には「ピアニストになりたい」とはっきりした夢を語るように。それを機に、ピティナの指導者賞受賞などの実績があって、珀琥さんの「キレイな女の先生がいい(笑)」という希望を念頭に探し、自宅から通える距離で指導を受けられる三輪先生に師事することに決めました。体験レッスンの日に、そのころ練習していた『トルコ行進曲』を連弾してくれたことが「とても楽しかった」と珀琥さん。「三輪先生についてからの成長は、すごいです。それまでは、この子の個性だけで突っ走って弾いて、運よくコンクールでも入賞できていたけれど、三輪先生は基礎練習の見直しをしたりコンクールで明確な目標を定めたり、丁寧に修正してくださいました」。先生の叱咤激励にも「良くも悪くも精神が強すぎて、何を言われてもへこたれない(笑)」とお母さん。出場したコンクールで完璧な演奏をしたものの入賞できず、納得のいかない結果に初めて挫折を味わったこともありましたが、珀琥さんは、気持ちを入れ替えて悔しさをバネに次の目標に向けてがんばったと言います。
三輪先生と。お揃いのバッハTシャツを着て
身体が細くて小さい珀琥さんは、指の筋トレが日課です。「毎朝、学校へ行くまでのあいだにハノンの5番まで弾くのですが、この子の手首の下に竹刀を当てて上に押し上げ、その力に負けずに強く弾けるように訓練しています(笑)」。どんな鍵盤でも深くタッチして音を響かせることができるように、普段から意識して練習しています。
そして、本番前には必ずヘッドホンで演奏を何度か聴いたあと「集中する」とひとこと言って睡眠をとるのがルーティン。目が覚めるとガラッと顔つきが変わり、「絶対にいい演奏をする」と言いながら舞台に向かっていきます。お母さんは「本番前に睡眠をとる子はなかなかいないので、変わり者だなぁと思いますが……笑」。そんな珀琥さんですが、「コンクールは楽しい。本番はちょっと緊張して、そのあとすこし怖くなる。でも演奏できると、楽しかったって思う」
本番前の睡眠タイム
将来の夢は「世界で活躍するピアニスト。大好きなパリで演奏したい。いちばん行きたい凱旋門で、ピアノを弾きたい」。パリにはまだ行ったことがありませんが、シャブリエのことを学んだときにフランスのことを知って、フランスの音楽にも触れたことで目標ができました。
週末には都庁ピアノで弾くことも。
たくさんの人が聴いて声をかけてくれる
お母さんは、「誰かに聴いてほしい、伝えたい、という思いが強いみたいです。この子にとって、音は大事なもの。メロディーが聴こえるとニコニコ笑顔になります。この子の笑顔をつくり出してくれる音楽を、これからもずっと好きでいてくれたらいいな、ピアノとともに生きていってくれたらいいなと思います。一人前のピアニストになっていろんな人に聴いていただけるようになるまで、親としてできる限りのサポートは全力でしたいです」
2024年10月
カーネギーホールで行われた入賞者コンサートに出演
わんぱく盛りの珀琥さん。代わりにお母さまが中心となって、とても楽しくお話を聞かせてくださいました。話題豊富で、すべてをご紹介できず残念です。そして加えて、今秋にはNYで演奏したことも教えてくださいました。世界がまた一歩近づきましたね! 夢のパリでの演奏も遠くなさそうです。
※文中の学年・年齢は、エントリー時のものです。
※インタビューは1月下旬に行いました。
全国大会での大滝珀琥さんの演奏はこちら。