大学生・院生部門1位に輝いた吉川礼菜(あやな)さんは、現在、神戸女学院大学音楽学部の3年生。大学の練習室からオンラインでインタビューに応えてくれました。「インタビューを受けるのは初めて」と最初は少し緊張した面持ちでしたが、終始和やかに語ってくれました。
吉川礼菜さん
まず今回のコンクール結果について尋ねると、礼菜さんは少しはにかみながら、「全国規模のコンクールで賞をいただいたのは今回が初めてだったので、結果を見た時は本当に信じられない気持ちでした。他の出場者の方々の演奏も聴かせていただいて、自分はまだまだだな、と思っていたので…」と控えめな感想。ですが、今回の受賞は「自分もできるんだという少しの自信にはなりました」と、ほっとしたように話します。しかし、「同時に、山積みの課題を改めて突きつけられたようにも感じています。だからこそ、もっと頑張ろう、と。そう思わせてくれたコンクールでした」。今回の結果を、次へのステップと捉えているようです。
大阪うめきたエリアで演奏した時の様子
今回、礼菜さんが演奏したのは、J.S.バッハとA.ヒナステラ。古典と現代という対照的な組み合わせでした。特に、アルゼンチン出身で20世紀の作曲家であるヒナステラの『ピアノソナタ 第1番』は、初めて本格的に取り組む現代曲だったそうです。
「まず、拍子がめまぐるしく変わることに慣れるのが大変でした。それに、音の跳躍が非常に多い曲なので、ミスをしないよう基礎的な練習をひたすら繰り返しました。」
未知の領域に足を踏み入れる上で、礼菜さんが頼りにしたのは多くの音源でした。様々な演奏家の録音を聴き比べ、それぞれの演奏の良いところを部分的に取り入れるなど、自分なりの解釈を模索したそうです。またこの曲は、ある課題を乗り越えるきっかけも与えてくれました。
「以前からコンクールの講評などで、よく『場面ごとの音のタッチの違いをもっと出すように』と指摘されていました。ヒナステラの練習を通して、打鍵の種類を変えて音色に変化をつける、ということに意識的に取り組んだのですが、その作業がすごく楽しくて。他の方からも言われたんですが、ヒナステラの曲は自分に合っていたのかもしれません。」
本番ではホールの美しい響きも相まって、充実感のある演奏ができたという礼菜さん。その一方で、バッハの演奏には「音楽が停滞してしまった」と悔いが残ります。自身の演奏を客観的に捉え、課題から目をそらさない。こうしたひたむきさが、礼菜さんの成長を支えているのかもしれません。
中学3年生の時の語学研修で訪れたニュージーランド。現地の人たちがとてもフレンドリーで温かかったそう
そんな礼菜さんの音楽の原点は、加古川の自宅にあった一台のピアノ。声楽を学んだお母さまが、自身も師事したピアノの田中美佐先生のもとへ幼い礼菜さんさんを連れて行ったのが、音楽との出会いでした。「練習は嫌いではなかったです。もちろん、母と喧嘩しながら練習した日もたくさんあります。でも、不思議と『ピアノをやめたい』と思ったことは一度もありませんでした。」
そんな彼女が、本格的に音楽の道を志すと決めたのは中学3年生の時。しかし、そこには劇的なエピソードがあったわけではなく、「もっとちゃんと音楽を勉強したいなと、本当になんとなく思ったんです」と振り返ります。しかし当時、礼菜さんは中高一貫校の普通科へ通っていたため、音大を目指す上で、その道は決して平坦なものではありませんでした。
「周りはみんな大学受験を目指していて、音大を目指すのは学年で私一人だけ。すごく心細かったです。特に高校3年生の時は、皆が受験勉強をしている間、私は練習のために学校を休むことも多くて…。」周りに同じ目標を持つ仲間がいない環境は、精神的にも大変なものでした。
高校へ進むと同時に、礼菜さんに転機が訪れます。それまで師事していたピアノの先生の計らいによる、新しい先生との出会いです。
「田中先生が、新聞で外国から帰国されたばかりの今の先生の演奏会の記事をたまたま見つけて、『この先生がいいんじゃないか』とわざわざ連絡を取ってくださったんです。」
田中先生の直感により新しく師事することになった坂本彩先生のレッスンについて、「最初は先生が指摘してくださることに付いていくだけで精一杯だった」と礼菜さんは振り返ります。「弾き方から練習の仕方まで、すべてを一から見直していくような感覚でした。」
坂本先生の指導方法は、まず曲の和声によって音楽の流れを決めること。「まず、その曲の調性から曲の持つイメージを考えて、その後はどのように和声が進行していくかによって曲の流れを決めていきます。」
また、最近は作曲家の伝記を読むなど、その曲が生まれた時代背景なども曲の分析の参考材料にしているそう。ここで、普通科の中高で育った経験が生きてきている、と感じているとのこと。幼い頃はどちらかというとひたすら楽譜の音符を追っていた演奏が、深みと物語を帯び始めたのです。
それでも高校時代には、「どんな音楽をしたいのか」と坂本先生に問われて答えに窮し、自分の音楽に個性が無いと悩んだ時期もあったそう。「本番に弱く、失敗を繰り返した」と辛い日々についても語ります。それでも「音楽がただただ好きだった」という純粋な想いが、音楽を諦めなかった理由でした。
地元の加古川市で初めての自主コンサートを行った
苦悩の時期を乗り越え、大学の音楽学部へ進学し、コンクールでも大きな成果を手にした今、礼菜さんの前にはまた新たな世界が広がっています。まずはこの6月、学内のオーディションを勝ち抜き、オーケストラとのコンチェルトに初挑戦したそう。曲はショパンの『ピアノ協奏曲第1番』。オーケストラも大好きという礼菜さんのその表情は、期待に満ちています。そして秋からは、オーストリアのザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学へ半年間の認定留学も決まっています。現地の芸術に触れ、これからどんな音楽を新たに紡いでいくのか、楽しみでなりません。
演奏会に出てお花をもらった時はいつも愛犬と一緒に写真を撮っているそう
将来の夢を尋ねると、礼菜さんは慎重に言葉を選びました。
「ピアニストや伴奏者、教えることにも興味があって、まだこれ、というはっきりとした目標はありません。でも、音楽について深く知っていくことが本当に楽しいので、この先もずっと音楽に関わっていけるような人生を歩めたらと思っています。」
目指す音楽家像については、「自分が曲について勉強し、感じ取った物語や想いを、聴いてくださる方にきちんと伝えられるような演奏家になりたいです。それこそが、今の私が一番目指している場所です。」と語ってくれました。
インタビューの最後に見せた、少しだけ自信をのぞかせた笑顔。礼菜さんの音楽に対するしなやかな探求は、まだ始まったばかり。その前途に期待が高まります。
全国大会での吉川礼菜さんの演奏はこちら。