全日本ピアノコンクール

花田直さん

本大会2度目の出場で、一般プロO56の部1位に輝いたのは花田直(はなだなお)さんです。先月リフォームされたばかりという自宅は、お部屋の真ん中にグランドピアノが置かれた素敵なサロン風。「今がピアノ人生の中で最高潮!」と明るい笑顔で語ってくださいました。

花田直さん

大阪芸術大学を卒業された花田さんですが、「音大生だなんて名乗れないくらい、決して真面目な学生ではなかった」と若かりし頃を振り返ります。

花田さんのお母様はピアノ講師。物心ついた頃からピアノレッスンに通い、お母様も師事する先生の元でレベルの高い指導を受けてきました。その流れのまま、「他にやりたいことや特技もなかったので」と芸術大学に進学。卒業後は調律師の道に進みましたが、ご主人が転勤族だったこともあり、結婚してから30年以上、ピアノは時折楽しむ程度でレッスンからも長らく遠ざかっていました。

そんな花田さんが50歳を過ぎた頃、ヨーロッパ赴任になりドイツで7年過ごすことになります。「ピアノでも弾かないと退屈」と大家さんに許可を得て弾きはじめたのが、思わぬ転機となりました。

上階に暮らす大家さんの奥様が、花田さんのピアノを毎日聴いていると知ったのです。顔を合わせると、「あの曲が好きよ」「元気のいい曲がいいわ」など声をかけてくれ、とても楽しみにしてくれていることが分かった花田さん。耳心地の良い曲を揃えてプログラムを組んで、奥様に楽しんでもらえるよう選曲や演奏にもこだわり始めます。

「ずっと今までピアノの英才教育を受けてきましたけど、思えば心から私のピアノを楽しみにしてくれていた人なんていなかったんです。この時初めて、自分のピアノに耳を傾けて心から喜んでくれる人が現れたんだ、と嬉しくて」。

奥様のために毎日弾くようになり、ピアノの楽しさに改めて気づいた花田さんは、そのうち「ちゃんとレッスンを受けてみたい」と思うようになります。そして5年ほど前、一時帰国に合わせて先生探しのサイトを検索してみたところ、日本の自宅から通える範囲内に気になる先生を見つけました。

松原賢司先生は、東京藝術大学音楽学部器楽科卒業で確かな経歴をお持ちだっただけでなく、先生がサイトのコメントに掲載されていた言葉に花田さんは共感します。

「ピアノは初心者から上級者まで、色々な楽しみ方ができる楽器。それぞれ目的は違っても、綺麗な響きのある音で、リズムや拍子を感じてフレーズを自然に歌う事は共通していると思います」と書かれていて、こんなことをおっしゃる先生に会ってみたいと思いました。

2023年、ピアノの発表会にて

レッスンでは、先生の指示通りに弾くと「それができるなら次はこれを」と、わずか1時間の中で次々異なる課題を出し、どんどん深めてくださる先生の指導内容に感動。感性も合うところがあり、「この先生に一生涯師事したい!」と涙が出そうになるほどだったそうです。

ドイツ在住の頃は半年に1度、そして3年前に帰国してからは月に2度ほど、今もその先生にレッスンを受けています。

そんな先生から「花田さんは弾けているか弾けていないかでいうと弾けている。けど圧倒的にステージ経験が足りない」と指摘を受け、コンクールやフェスティバルに出場し始めました。

今回挑戦したスクリャービンの『ソナタ第2Op.19「幻想ソナタ」第1楽章』は初めて弾く曲でしたが、いつかやりたいと思って少しずつゆっくり譜読みを進めていた曲でした。最初、先生に選曲について相談したところ、先生からは「花田さんらしくない曲。でも、だから勉強になるでしょう」と言われたそう。

花田さんの弱点は「弾き過ぎている」ところだと松原先生は指摘します。フェードアウトするところやディミヌエンド、音の終わりなどのニュアンスにより磨きをかけることが課題でした。

緩急があり表現力の求められるスクリャービンの曲は、仕上げるのに苦労しましたが、憧れの曲をなんとか弾けるようになりたい、と花田さんも必死で取り組みました。

ファイナル本番は一番手。「会場内の空気が動いていない感じがして、もうやりにくいったらなくて…」。普段しないようなミスも多発し、「ボロボロだった」と手応えゼロでした。ですが、「松原先生からは、音の消え際を聞くとか、メロディーの最後を大事にするとか、そういう細かいところを積み重ねることによって聴く人の印象が変わってくると指導されています。自分が完璧にできていたわけではないけれど、そうしようと意識して弾いていたことが、もしかしたら審査員の方々に伝わったのでは」と花田さん。講評に「楽譜をよく読み込んでいます」と書かれていたことも嬉しかったそうです。「先生が深く読み込んで解説してくださるからなので、先生のおかげなんですけど、でもそういう風に聞こえたんだ、と思って」と改めて先生への感謝を口にしました。

2023年から自宅近くの施設で暮らすお母様とチューリップの公園へ

ですが、2023年は花田さんにとって怒涛の1年でした。関西で離れて暮らすお母様が高齢で1人暮らしが難しくなったこともあり、お母様のお世話や施設探しなどのため、関西と関東を行き来する生活。そんな中でもどうにか予定をやりくりし、日々の練習やコンクールのスケジュールをこなしてきました。「ぐちゃぐちゃの1年間をどうにかして切り抜けて出場できて、それだけで達成感でいっぱいです。でも結果を聞いた時は、そんな頑張った自分への神様からのご褒美なのかな、って娘と抱き合って号泣しました」。

今ではお母様も近くの施設に入居され、生活は落ち着いているそうですが、それでも家事をしながら、複数のコンクールの準備に追われる日々。最低でも123時間は集中して取り組み、それ以外も隙間時間に練習を重ねています。

先生からは「何も考えないで弾く癖がついてしまうから、漫然と流し弾きするような練習はしないほうがいい」とアドバイスされているそう。何度も立ち止まって、細かく引っかかって、自分の音をよく聞き、問題点を修正していく、という地道な練習を根気強く続けています。

リフォームしてサロン風になった自宅での練習風景

お孫さんと遊び弾きの連弾

今後については、サロン風に改築した自宅で、友人知人を集めて、お母様も一緒にファミリーコンサートを開催してみたいと考えています。

また、いくつか挑戦したいコンクールもありますが、1曲を仕上げるのに1年かかることや自分の年齢のことなどを考えると、「70歳までのあと10年ほど、何にどう取り組んでいくかはとても悩む」と花田さん。

ですが、「3年くらい前から連弾のパートナーにも恵まれたので、連弾のレパートリーも増やして何かに出たいと思っているし、孫娘と連弾で発表会にも出たいし」とまだまだ挑戦したいことはたくさんです。

「今回のコンクールに出て、同世代の方達がひたむきに頑張っている姿に刺激をいただきました。これからも、1ミリずつでも前に進めればという気持ちでピアノを弾き続けたいです」。

オンラインが繋がった瞬間、花田さんの明るい笑顔がパアッと飛び込んできました。しかもピアノだけでなく、ハーフマラソンにもチャレンジされているとのことで、これからも愛するご家族と元気いっぱいに過ごしながら、ご自身の音楽を深めていく姿に私達こそ刺激をいただけそうです。

文中の学年・年齢は、エントリー時のものです。
インタビューは202410月初旬に行いました。