楽器としてのピアノ

なぜ「楽器の王様」なのか

ピアノは「楽器の王様」と呼ばれている。

その理由は、まずフル・オーケストラにも肩を並べる音域の広さ。そして消え入るような微かな音から、大轟音まで生み出す音量コントロールの自在さ。基本的な音量の豊かさも大切な要素だ。

楽器一台で大ホールの観客を沸かせることができる。

この最大音量があって、小音量の素晴らしさが際立つ。そして鍵盤楽器ならではの特性、すなわち同時に鳴らせる音の多さ。10本の指で同時に10の音を鳴らすことができる(奏法によってはもっと)。これは複雑な音楽を一人で表現するときに必要だ。

そしてダンパーペダルの機構。このペダルを踏んだとき、弦を押さえている全てのダンパーが上がることで、楽器の豊かな響きを持続させる装置である。これによってピアノらしい夢幻的な表現が可能になる。そして楽器としての「立派さ」も理由の一つである。非常に精巧で高価で大きなピアノには「モノそのものに」王者の風格がある。

これらの機能性、スペックの高さゆえ、ピアノはあらゆる音楽家にとって必須の楽器となった。作曲家はピアノの前に座って作曲する。音楽教師はピアノを使ってレッスンをする。ピアニスト以外の楽器奏者や歌手は、ピアノとのアンサンブルを演奏の最小形態として必要とすることが非常に多い(無伴奏は特殊なケース)。

ピアノは人間の脳が想像する音楽をカタチにして、コミュニケーションをするための最も便利な道具なのである。

こうした特徴をふまえて、ピアノを「楽器の王様」たらしめている理由を突き詰めれば、それは楽器の「表現力」の高さである。

楽器の成り立ちピアノという楽器の成り立ちを概観してみよう。

ピアノが登場する以前にはオルガン、クラヴィコード 、チェンバロといった鍵盤楽器が存在した。それぞれの仕組みは、オルガンは管の空気を振動させて音を出し、クラヴィコード はタンジェントが弦に触れて音を出す。チェンバロの場合はプレクトラムが弦を引っ掻いて音を出すという風にそれぞれ違っている。

これらの楽器の後に歴史に登場したピアノはハンマーが弦を叩いて音を出す仕組みである。
ピアノはイタリアのチェンバロ製作者バルトロメオ・クリストフォリによって1700年頃発明された。クリストフォリが考え出した仕組みの中で最も重要だったのは、弦を打ったハンマーを、たとえ鍵盤が完全に元に戻っていなくても、再び作動可能な位置に戻すエスケープメントという機構である。これによって急速な同音反復が可能になった(その後フランスのエラールがダブル・エスケープメントを開発し、さらに性能が上がった)。

そしてこの機構は、オルガン、チェンバロには不可能だった「指のタッチを通じての強弱の表現」を可能にした。クリストフォリの楽器は「グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(弱音も強音も鳴るチェンバロ)」と呼ばれ、この呼び名が省略され「ピアノ」の名前が定着していくことになった。

【河合楽器製作所が1720年製のオリジナルをもとに1995年に復元したのクリストフォリのピアノ】

写真提供:浜松市楽器博物館

【現代のグランドピアノのアクションの模型】

写真提供:ヤマハ株式会社

バッハは、音量は小さいが強弱をつけられるクラヴィコードを愛したと言われている。その理由として「私的に音楽を楽しむときに」相応しい楽器だと称賛したことは興味深い。

ピアノはものすごく単純化して言えば、この強弱を付けられるクラヴィコードの繊細な表現を機能的に拡大したものと言える。バッハが言った「私的」ということの「私」の部分が、続く時代に人間の生き方、考え方として大きくフィーチャーされることになり、自己表現=「私」の表現に適した楽器としてピアノは大いに愛され、発展していったと言えるかも知れない。

ピアノの音色の特徴

ピアノの音。誰もが知っているあの音。どんな特徴を持っているのだろう。波形で見るとこんな形になっている。楽器の音の性質を決めるのはADSR、すなわちアタック、ディケイ、サスティーン、リリースという4つの部分の値である。この中でも、音の立ち上がりの部分に相当する「アタック」は音の「顔」として、その音色の同一性を決める大事な部分だ。ピアノはこのアタックが硬質で力強い。ピアノのアタックには色々な音の成分が含まれる。

具体的には、「カタッ」という鍵盤アクションの機構の音、ダンパーが上がる音、そしてハンマーが弦を叩く音、これらが混じってピアノらしいアタック音を構成する。その後ディケイとサスティーンの部分に移行し、ピアノの音は最大音量から一度急激に音量が落ちたあと、緩やかな減衰体制に移る。このサスティーンの部分だけを抜き出して聞くと(アタックなしで)フルートの音にも似ていると言われる。いずれにせよピアノのサスティーン音は優しく、包容力のある魅力的な音である。

【ピアノの単音の波形】

 

この特徴的なアタックとサスティーン、タッチによる強弱、ダンパーペダルの使用を組み合わせてピアノならではの表現力が生まれる。打点の強いアタックは、複雑で急速なパッセージをはっきりとした輪郭で描くことを可能にする。

さらにオーケストラの全合奏の響きを模すようなダイナミックなサウンドをも可能にする。サスティーンとタッチによる強弱が「カンタービレ=歌うように」を可能にする。そうして声楽や、ヴァイオリンのレガートを模すことができる。幅広い分散和音をダンパーペダルと一緒に演奏することで、ロマン派のトレードマークである夢幻的な雰囲気を作ることができる(チェンバロやオルガンにできない表現だ)。

こうしてロマン派的な表現、すなわち感情の起伏の大きさ、喜怒哀楽などの心情をサウンド化する。フランス革命を経て新たに歴史に登場した、自由で自立した市民の精神にマッチする音楽である。

クリストフォリによるアクションの開発から始まり、ピアノはその後も改良が重ねられた。19世紀後半になり、いわゆる「アメリカン・システム」、すなわち鋳鉄一体型フレーム、交差弦、高テンションのミュージックワイヤーの使用をもって、楽器としての完成形に到達した。

1853年創立のスタインウェイ社は、この「アメリカン・システム」を早くから採用したことで世界をリードするピアノメーカーになり、現在も他の追随を許さない地位を保っている。ピアノの音色はより豊かに、輝かしく、力強くなった。

この間、特に19世紀にはピアノのための作品が無数に生み出され、現在でも多くのピアニスト、聴衆を魅了し続けている。つまりベートーヴェン、ショパン、リストなどの名曲を、完成された楽器であるピアノで演奏しコンサートホールで聴くというスタイルにはもう随分長い歴史があるということだ。そして、いまだにそのスタイルは色あせずポピュラリティーがあるということ。これはすごいことだ。

【スタインウェイのD-274モデル】

写真提供:スタインウェイ・ジャパン株式会社

ジャズ、ポピュラー音楽におけるピアノ

このクラシックのコンサート文化の傍ら、20世紀にはまた新しい音楽文化が生まれ育った。

ジャズ、ブルース、ロック、R&Bなどのポピュラー音楽である。

筆者はジャズ・ピアニストなので、20世期のピアノをジャズ、ポピュラー音楽の文脈から語ってみたい。ジャズの中でピアノは大いに活躍する。しかしチェンバロやパイプ・オルガンは(ほぼ全く)使われない。ポピュラー音楽という枠組みでは、イエスの「Close to the edge 」のパイプ・オルガン、ポール・モーリアの「恋はみずいろ」のチェンバロなどのポイントを押さえた使用例がある。

しかしピアノの重要性に比べればほとんど存在感はないといえる。代わりにフェンダーローズやウーリツアーなどのエレキピアノ、ハモンド・オルガン、クラヴィネット など、電気化された20世紀の鍵盤楽器はジャズでもポピュラーでも重宝される。

ピアノに限らず、多くのクラシックの楽器がジャズにおいても使用される。トランペット、サックス、フルート、コントラバスなどだ。

しかしどういうわけか、あまり使われない楽器というものもある。ファゴットやオーボエといったダブルリード、ヴィオラ、チェロなどの弦楽器、ホルンなどである。音色の個性、楽器の文化的イメージ、半音階を自在に演奏する基本的な操作性などが複雑に作用し合って、ジャズに転用されるか否かの条件となるのだろう。

それにしても、ジャズやポピュラー音楽におけるピアノの重要性は明らかである。その理由の一つは、ピアノの持つ打楽器的側面があるだろう。前述したように、ピアノの持つ特徴的なアタック音は打点が非常に明確であり、複雑なリズム表現に価値が置かれるジャズにおいてピアノは大きな存在感を持っている。ドラム、ギター、ベース共に「リズムセクション」を構成し、基本的なリズム・パターン、そしてそのグルーブ感に楽曲のアイデンティティを置くポピュラー音楽においてピアノの果たす役割は大きいのである。

そして、この「打楽器的側面」と対極をなしつつ同居する「歌の表現」が可能なピアノの能力がジャズ、ポピュラー音楽においても遺憾無く発揮される。ピアノの流れるような線的なメロディーがジャズのアドリブを、そしてポップスのリフを彩る。

さらに、和音=コードである。和音を表現するにあたってピアノ以上に理想的な楽器はない。こうして音楽の三要素を完璧に網羅するピアノは20世期の音楽シーンにおいても、やはり「楽器の王様」としての地位を譲らなかった。これは奇跡的なことだが、突き詰めればやはりピアノという楽器の持つ高い表現力ゆえの結果なのだ。

ピアノとギター。そしてピアノの未来

おそらく20世紀のポピュラー音楽の歴史において、もっとも目覚しくフィーチャーされた楽器はギターだろう。ブルースにおいて、ロックにおいて、ブラジル音楽、ハワイアン、タンゴなどの多くのワールド・ミュージックにおいてギターは必ず大切な、しばしばピアノをしのぐ主役の役割を果たしてきた。

ピアノとギターの共通点はどちらもコードを演奏できること。それゆえ伴奏楽器として重宝される。そして様々なスタイルに適応する順応性が高いことも似通っている

しかし相違点もある。20世紀のギター躍進物語は、ジャンルごとに異なるタイプの楽器、音色、アコースティック、非アコースティックを使い分け進化したことで適応していった歴史である。特に20世期前半に始まったギターの電化、それに伴う音量の増大は革命的な出来事だった。それに対してピアノは、19世期に完成したクラシック音楽のための楽器としての基本構造をそのままに、多くのジャンルに適応していった。これを思うと、ピアノという楽器のポテンシャルの高さは驚くべきものだ。

そして21世紀。ピアノはどうなるのだろう。おそらく、ピアノは変わらず愛され続けるだろう。Youtubeが登場しストリーミング配信によって音楽を聴くスタイルが全盛となり、あらゆる時代のあらゆるジャンルにアクセスが容易な現代、ピアノの表現力と可能性に対する称賛と信仰はますます強まり、作品や作風、アーティストの流行り廃りはあるものの、ピアノという楽器そのものへの信頼は揺らぐことなく、むしろその融通無碍な表現能力が繰り返し人々を驚かせ、楽しませ続けると思う。

保坂修平(ジャズ・ピアニスト/作曲家)

群馬県出身。
東京藝術大学楽理科および大学院卒業。

クラシック、ジャズ、ポピュラーの語法をバランスよく取り入れた幅広く柔軟な音楽性には定評があり、国内外の一流アーティストのサポートおよび、自己の活動を活発に行っている。

2012年10月より俺の株式会社の音楽部首席ピアニスト。
2013年1月より群馬県渋川市観光大使。
2018年CD「タペストリーズ」、2019年CD「YAKUMO」発表。
銀座男声合唱団委嘱の合唱曲「青春の詩」が2015年11月ニューヨークのカーネギー・ホールで初演された。

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