日本音楽協会理事の高木と申します。
協会の代表として「思い」を書いてみることにしました(続く限り)
協会のこと、自分のこと、音楽のこと。
気楽に綴っていきますので、楽しんでいただける方がいたら幸いです。
日本音楽協会の理念は「聴く人を増やす」です。
音楽、まずクラシック音楽をだれもが楽しめる環境をつくり、聴く人を増やしていくこと。
聴く人が増えることで、聴かせる人の活躍の場が増え、またさらに聴く人が増える。相乗効果が働き、クラシック音楽を楽しむためのハードルを取り除くことにつながると考えます。
そもそもクラシック音楽界は、私にとって長いあいだ謎の多い業界でした。
多くの人が、クラシックの歴史や作曲家など知識がないと楽しめない、楽しんではいけない、という固定観念を抱きがちで、私も保守的で閉鎖的なイメージをもっていました。
一方で、クラシックのことをもっと知りたい、生の演奏を聴いてみたい、何か楽器ができたらすてきだな、と思っている人が多いことも事実です。
かくいう私も、中・高・大学と10年間も授業を受けたにも関わらず英語が話せないコンプレックスに似て、子どものころにかじった程度の音楽の知識や経験では、クラシックを楽しむ資格がない、と思い込んでいた節があります。その一方で、憧れのような感情を抱いていました。
①音楽コンクール
その、謎多きクラシック音楽界のなかで、まず私が注目したのが「コンクール」という制度です。
ピアノだけ見ても、日本国内には大小200を超えるコンクールがあり、すでに飽和状態と言われています。
その200のコンクールそれぞれに、どれだけ大きな特徴の違いがあるのか。
審査基準や審査方法は、はたして公平性があり透明性のあるものなのか。
演奏順によって、ドレスの色によって、有利不利はないのか。
私が不思議や疑問に感じていたことは、挙げたらきりがありません。
たとえば、日本のコンクールでは、ホールで演奏することが当然とされてきました。しかし海外に目をむけると、収録した動画をもとに審査する方法を採用しているコンクールもあります。
また、演奏家として成功することは、ホールの客席をどれだけ埋めることができるかどうかに比例しているのが現実です。ここには、日本独特の、対面演奏絶対主義といったようなリアルだけを尊重する文化があるようです。もちろんクラシック音楽の魅力に「会場の響きを楽しむ」が含まれていますので音楽ホールで演奏しホールで聴くことの喜びは何物にも代えがたいのは事実です。
1980年代の日本では、15歳までに学校以外でクラシック音楽学習を受けた経験のある方が20%程度いらっしゃったのに対して、成人になってクラシック音楽を愛好している方は1%程度のようです(楽器店の方に伺った数字なので私の調査ではありません)
国内では聴く人が少ないのに、リアルだけを求めるばかりに、演奏家として成功できる席も少なく、そのために音楽を自由に楽しむ機会さえ奪われている事を危惧しています。
優れた演奏家は、自身の演奏を収録しCDとしてリリースしているにもかかわらず「音楽はリアルでなければ」と拘るのは矛盾なのか。
長年にわたり積み重ねられてきた暗黙のルールに、気づけばがんじがらめになってしまい、本来大切にすべき点が見落とされているのではないか。
そんな思いから、あえて音楽コンクール運営に身を乗り出すことにしました。
私が日本音楽協会の理事に就任する以前から20年以上にわたり経営してきたのは、イベント・コンサートなどのさまざまな撮影や映像を制作する会社です。そこで培った動画に関する十分なノウハウを駆使して、見えないルールから解き放たれた新しい音楽の魅力を発信することが出来るのではないか。新たな「視点」を提示することで生まれる可能性を信じて。
「聴く人を増やす」を基本理念に、だれもが音楽を自由に楽しむ社会を目指し、新しい音楽コンクールをつくります。
とりとめのない文章になりましたが、私のふつふつ湧き出る想いが少しでも伝わっていたら幸いです。
次回は、これまでを少し振り返ってみましょう。
今日はこのへんで。
高木敏郎