全日本ピアノコンクール

坂上絵里子さん

一般U55の部の1位は、坂上絵里子さんです。京都府出身の坂上さんは、同志社女子大学学芸学部音楽学科音楽学専攻(現・音楽文化専攻)を卒業。結婚後は、ご主人の転勤に伴い各地を転々とし、現在は北海道函館市に住んでいます。ようやく雪解けがすすんできたという3月末、オンラインでお話を伺いました。

坂上絵里子さん

「この冬は、雪がよく降りました。毎日のように雪かきをして、一日に2回しないといけない日もあって。一晩で車のタイヤが埋もれるくらい積もるから、朝起きて、どこからやればいいんだろう?という感じ。隣の家の方が、雪かき指導をしてくださるんです(笑)」。4年前、それまで縁もゆかりもない北海道の地に移り住んだ当初は、気候も文化もすべてが違って、異国の地に来たような感覚だったと言います。雪かきも初めての経験でした。

この日はそこまで積もらなかった

住む場所は変わっても、ピアノはずっと続けてきました。「全国あちこちに住んで、各地で素晴らしい先生との出会いがありました」と坂上さん。函館に転居したときも、ネットで検索して、現在も演奏活動をしている先生を見つけ、すぐにレッスンに通いはじめました。

そんななかチャレンジした、全日本ピアノコンクール。函館市内で、大人向けのコンクールが開催されることはほとんどありません。また、動画提出でエントリーできるのは、撮り直しができることや、子どもの体調や予定に左右されることがなく、坂上さんにとって好都合でした。下の子がまだ小学生のため、神奈川で開催される全国大会には出場しないつもりでいましたが、「主人が、行ってこいと言ってくれて。4年前、水戸に住んでいたときに出場したコンクールも、全国大会がみなとみらいホールだったんです。一度弾いたことのあるホールで音の響きや鍵盤の感じもなんとなくわかっていたから、すこし緊張が和らいだかな」。そして、堂々の1位。「コンクールで1位になるのは初めてのことなので、嬉しいです。わたしの表現を認めていただけたと喜んでいます」。

全国大会へ気持ちよく送り出してくれた家族は、「ピアノに興味ないので……1位だったことも言ってないです(笑)」と坂上さん。とはいえ、「下の子には報告したら、そのときは反応がなかったのに、昨日、遊びに来ていた友だちに『うちのお母さん、すごいんだよ』って話し出して。そんなふうに思ってくれていたのかと。以前ピアノを習っていた先生からも、よかったよと言ってもらえたので、ほっとしました」と振り返ります。

坂上さんがピアノをはじめたのは、年長のころ。「母が、やる?って聞いてくれて。なんでもやりたがりの性格だから、ヤマハのグループレッスンからはじめて、しばらくして個人のお教室に通うようになりました。先生はとても尊敬できる方で、その先生との出会いは、わたしにとって大きなものでした」。
高校卒業後の進路を考えるようになったとき、「正直なところ、ピアノ専攻は無理だと思って、音楽学科と名のつくところに入ろうと考えました」。高校までは、発表会やコンクールなど一人で弾く機会はたくさんありましたが、大学に入学してみると、音楽学専攻ではピアノソロを演奏する機会はまったくありませんでした。「入学するまで、そういうこともよくわかっていなくて。大学主催の演奏会の裏方をしなくてはいけないことがあって、悔しくつらい思いをしました。努力が足りなかったから当然のことなのですが、ホロリときそうになって……」。でも、この経験があったからこそ、「聴いてくださる方の前でピアノを弾けることは、ありがたく、楽しく、とても幸せに感じるようになりました」。

聴いてくれる人がいることの幸せ

平日は、家族を送り出すと、冬のあいだの雪かきを除いて、家事は後回しにして練習します。「専業主婦だから時間はあるほうだと思うけれど……楽曲分析などは、子どもの習いごとの待ち時間を利用しています」。休日や、夏休みなど長期休みになるとあまり練習できません。「体重も増えます(笑)。ピアノを弾かないといっぺんに増えるんですよ」と坂上さん。それだけ、エネルギーを使っています。

自宅練習では、何度も録画を繰り返して、演奏を聞き返したり、姿勢を見直したりします。作曲理論も学んだ坂上さんは、作品に取り組む際、すべて分析することからはじめます。「たとえば、普通ならこの音にいくのに、わざわざフラットがついている、とか。分析したことを、楽譜に書き込んでいきます」。
今回、ブロック大会と全国大会は同じ曲でエントリーした坂上さん。「簡単なコード進行だったので、さらっと弾いていたら、ブロック大会の講評で『フレーズの到達点がはっきりしていない』とか『和声の濃淡が薄い』という指摘があったので、もう一度、分析をやり直しました。だから、全国大会の演奏は全然違っていると思います。講評も細かく指摘していただいて、何人もの先生の特別レッスンを受けたみたい。次に繋げられて、よかったです」。次の大会に駒を進めながら、自分自身の成長を実感したと言います。

「一年一年、すこしずつでも上達して、死ぬ間際まで上達したい」と坂上さん。「年々、暗譜が大変になっているから、あきらめずに暗譜できるようしたい。ほかの人と比べてもしかたがないから、去年の自分より今年の自分がよければ嬉しい。そうやって続けていけたら、一生幸せなんじゃないかなと。こういう向上心は、ピアノに対してだけです。そんなに気力はないから(笑)」。
そして、「ピアノはなくてはならないもの」と断言します。「作品自体が素晴らしいから、それを練習して深めれば深めただけ発見がある。自分にはこの一小節たりとも書けないと思うからこそすごいなと思うし、それを味わいたい、より理解したい」。そうして作曲家と対話しているような気持ちになる瞬間に幸せを感じられるところが、ピアノの好きなところです。「今回、ほかの部門の優勝者が、リストの『リゴレット・パラフレーズ』をすごく素敵に弾いていたので、いまはその曲に取り組んでいます」と坂上さん。向上心に、休憩はありません。

ピアノはなくてはならないもの

 

“去年の自分より、今年の自分がよければ、嬉しい”。インタビューのなかで、とても印象に残った言葉です。成長も幸せも、人と比べるものではなく、自分自身で実感できることが何より大事だということ。それを、確かな手ごたえとして認めることのできる指標を持っていると、人生はより鮮やかになるのだと思います。向上し続ける坂上さんの演奏、また聴かせていただきたいです。

※文中の学年・年齢は、エントリー時のものです。
※インタビューは3月下旬に行いました。

全国大会での坂上絵里子さんの演奏はこちら